千鳥町

 土曜日はまた七福神巡り。このところ左のアキレス腱のあたりが痛むので、歩くのは少し控え目にしている。この日は、距離の短い川崎の七福神巡りにした。京浜急行蒲田駅で降り、JR蒲田駅に向かう。蒲田、というとどういうわけが「砂の器」を連想してしまう。あのお話では、蒲田の操車場で殺人事件が起きた。犯人は被害者と蒲田駅のトリスバーで会っていたことが、警察の聞き込みで分かるのであった。トリスバー、というのが気になるのだが、トリスは特に飲みたいとも思わない。

 蒲田で東急に乗り換え、武蔵新田駅で降りる。むさししんでん、と読むのかと思ったら、むさしにった、であった。新田義興という中世の武将に由来していた。義貞の息子で非業の死を遂げたらしい。太平記は途中まで読んでそのままなので、そこのところはまだ読んでないかもしれない。記憶にない。

 この日は距離が短いにもかかわらず、道に迷って、結局終わりは夕方になってしまった。川崎の七福神巡りということだったが、大田区の千鳥町というところをぐるぐる回っていただけ、という感じであった。千鳥足、というばかなだじゃれを言いたくなる。

 翌日は、松下さんの詩の教室。昼過ぎに石川町駅へ着く。中井ひさ子さんと会ったので、詩集のお礼を言う。この日は白井明大さんがゲストで来た。松下さんが入院で参加できないので、当方が各作品への松下さんのコメントを代読して、それからみんなで相互批評した。ひとつひとつの作品にけっこう時間がかかってしまった。それなりに突っ込んだ話になったのではないかと思う。白井さんがいい感じでコメントを入れてくれたので、進行役としてはかなり助かった。

 松下さんのいくつかのコメントを読みながら、自分の詩が今あるところより先に行くにはどうしたらいいのか、という感じのテーマが浮かんできたように思う。これは難しい。誰だって、今の自分の詩の限界を乗り越えたいと思っているわけだが、それは頭で考えてすむ話ではない。乗り越えようという意志があっても、詩は意志ではないので、無駄な努力のような気もする。あるとき、ふいに乗り越えられていた、という感じが本当に乗り越えたときなのであろうが、それをこちらから仕掛けられない、というのはなんとももどかしい。

 結局、千鳥足で右往左往するわけだが、そうでなくっちゃ現代詩ではない、という気がしないでもない。同じようなところをぐるぐる回る。同じようなところではどうしていけないのか、という根本的な疑いを持ちながら、でもやはり同じところでないところに行く気でいる。