王道vs.覇道

Virtue,Smart Power王道vs.覇道Hard Power

西郷隆盛はなぜ西南戦争を戦ったのか

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西郷南洲翁遺訓集

http://www.keiten-aijin.com/ikun.html

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第四ケ条 

万民ばんみんの上うえに位いする者もの、己おのれを慎つつしみ、品行ひんこうを正ただしくし、驕奢きょうしゃを戒いましめ、節倹せっけんを勉つとめ、職事しょくじに勤労きんろうして、人民じんみんの標準ひょうじゅんとなり、下民かみん其その勤労きんろうを気きの毒どくに思おもふ様ようならでは、政令せいれいは行おこなはれ難がたし。然しかるに草創そうそうの始はじめに立たちながら、家屋かおくを飾かざり、衣服いふくを文いろどり、美び妾しょうを抱かかえへ、蓄財ちくざいを謀はかりなば、維新いしんの功業こうぎょうは遂とげられ間敷まじき也なり。今いまと成なりては、戊辰ぼしんの義戦ぎせんも偏ひとへに私しを営いとなみたる姿すがたに成なり行ゆき、天下てんかに対たいし戦死せんし者しゃに対たいして、面目めんぼく無なきぞとて、頻しきりに涙なみだを催もよおされける。

第十一ケ条

文明ぶんめいとは道みちの普あまねく行おこなはるるを、賛称さんしょうせる言げんにして、宮室きゅうしつの荘厳そううごん、衣服いふくの美麗びれい、外観がいかんの浮華ふかを言いふには非あらず。世人せじんの唱となふる所ところ、何が文明やら、何が野蛮やばんやら些ちとも分からぬぞ。予よ、甞かつて或人あるひとと議論ぎろんせしこと有あり、西洋せいようは野蛮やばんぢゃと云いひしかば、否いな文明ぶんめいぞと争あらそふ。否いな否いな野蛮やばんぢゃと畳たたみみかけしに、何なんとて夫それ程ほどに申もうすにやと推おせしゆえ、実じつに文明ぶんめいならば、未開みかいの国くにに対たいしなば、慈愛じあいを本もととし、懇々こんこん説諭せつゆして開明かいめいに導みちびく可べきに、左さは無なくして未開みかい蒙昧もうまいの国に対たいする程ほど、むごく残忍ざんにんの事を致いたし、己おのれれを利りするは野蛮やばんぢゃと申もうせしかば、其その人口ひとくちを莟つぼめて、言無ことばなかりきとて笑わらはれける。

第十九ケ条

古いにしえより、君臣くんしん共ともに己おのれを、足たれりとする世よに、治功ちこうの上あがりたるはあらず。自分じぶんを足たれりとせざるより、下々しもじもの言げんも聴きき入いれるもの也なり。己おのれを足たれりとすれば、人ひと己おのれの非ひを言いへば、忽たちまち怒いかるゆえ、賢人けんじん君子くんしは之これを助たすけぬなり。

第二十五ケ条

人ひとを相手あいてにせず天てんを相手あいてにせよ。天てんを相手あいてにして己おのれれを尽つくし、人ひと

を咎とがめず、我わが誠まことの足たらざるを尋たずぬべし。 

第三十ケ条

命いのちもいらず、名なもいらず、官位かんいも金かねもいらぬ人ひとは、仕末しまつに困こまるもの也なり。此このの始末しまつに困こまる人ひとならでは、艱難かんなんを共ともにして、国家こっかの大業たいぎょうは成なし得えられぬなり。去されども个か様ようの人ひとは、凡俗ぼんぞくの眼めには、見み得えられぬぞと申もうさるるに付つき、孟子もうしに『「天下てんかの広居こうきょに居おり、天下てんかの正せい位いに立たち、天下てんかの大道だいどうを行おこなふ、志こころざしを得えれば、民たみと之これに由より、志こころざしを得えざれば、独ひとり其道そのみちを行おこなふ、富貴ふうきも淫いんすること能あたはず、貧賎ひんせんも移うつすこと能あたはず、威武いぶも屈くつすること能あたはず』」と云いひしは、今いま仰おおせられし如ごときの、人物じんぶつにやと問とひしかば、いかにも其その通とおり、道みちに立たちたる人ひとならでは、彼かの気象きしょうは出でぬ也なり。

第三十八ヶ条

世人せじんの唱となふる機会きかいとは、多おおくは僥倖ぎょうこうの仕當しあてたるを言いふ。真しんの機会きかいとは、理りを尽つくして行おこなひ、勢せいを審つまびらかにして動うごくと云いふに在あり。平日へいじつ国天下くにてんかを憂うれふる誠心せいしん厚あつからずして、只時ただときのはずみに乗じょうじて成なし得えたる事業じぎょうは、決けっして永続えいぞくせぬものぞ。

人生の王道

著者:稲盛和夫

http://www.kyocera.co.jp/inamori/publication/2007/09/publication18.html