2017/10/04

石毛さん、ダイエットだって言ってお昼ご飯を食べません。もちろん米さん私小林さんの女性組も、「いくらダイエットって言ったって、食事抜くのはかえって危険なのに」と心配してますが、しばちゃんも「平賀さんこそ気にしなきゃいけないのに、全然気にしてない。石毛さんにダイエットは必要ない」と心配。

昨日ついにしばちゃん、お昼にベーカリーコーナーでスイートポテトを購入。

「石毛さん、食べてね、平賀さん太ってね」

と言いながら差し入れてくれました。

「石毛さん、米さんに平賀さんのこと相談したら、『いいから太らせなさい』と言われたんだ。平賀さん、おいしいものたくさん食べて、冬眠しちゃうかもしれない」

「・・・私は熊かカエルですか」

要するに、石毛さん一人に差し入れても遠慮して断るだろう、スタイルを気にして糖質カットしている米さん小林さん組は相談を受けて、甘いものに付き合うのを遠慮し、「平賀さんだったら、甘いもの、さらにしばちゃんからだったら喜んで飛びつくよ」と返事したのだろうと察しがつきました。

「平賀さん、春まで寝ていたら、厨房広々としていいだろうな」

「・・・私がいないと寂しいくせに」

「全然」

石毛さんと二人で、スイートポテトをおいしくいただきました。

昨日は惣菜方は早く終わったものの、しばちゃんは本当にお寿司今日が初めての?保さんと二人きりで組まされ、仕事終わりません。私がお寿司側のマシン類を掃除しました。

MGRは「柴崎さん、平賀さんにサーモンの仕込み教えてあげて」

と指示出したものの、朝入荷したはずのサーモンがありません。

MGRとしばちゃん二人係で

「ひらがさん、食べちゃったんでしょ」

と息を合わせていじってきて

「ちがいます。きっとここにはトトロが住んでいて、食べちゃったんですよ」

「いやいや平賀さん、おなかがすくと夜な夜な厨房に忍び込んでこっそり食べているに違いない」

「生のサーモンだけを3キロも食べる人がいるんですか、熊じゃあるまいし」

「平賀さん、冬眠するんでしょ」

冗談だと分かっているのでわたしも冗談でかえし、石毛さん笑っていました。

「しょうがないなぁ、もう、ひらがさんが食べちゃったんなら。明日の朝一で仕込みますよ、MGR」

たぶん忙しかったから、誰かが間違えて捨ててしまったのだろうことは、3人とも考えていて、だけどだいたいめぼしはつくけど犯人探しをしてもしょうがない、と3人とも考えての会話でした。

まだまだひよこな石毛さん。周りの風当たりは暖かいとは言えず、男性二人組が、石毛さんを心配して、楽しく仕事してもらいたいから笑わせようとか、さりげなくかばおうとしているのはわかり。

職場が女性だけにならない方がいいんだな、と思いました。

「あんまりいじられすぎて、私焦げちゃいそう。たまにはほめてください」

しばちゃん

「平賀さん、脂がのっているね!ってほめればいいの?」

MGR

「平賀さん、食べるの早いね!ってほめればいいんですよ」

「はい、石毛さんはサーモンの握りにマヨネーズが好きだよね、平賀さんも今日は卵でなくてサーモン」

しばちゃんがいつもの端材の握りを差し入れてくれて。

石毛んさん大爆笑でした。

立憲民主党 枝野幸男氏 演説全文(10月3日)

<冒頭>

 たくさんの皆さんに足を止めていただき、お集まりをいただきありがとうございます。立憲民主党の代表の枝野幸男でございます。今朝、正式に党として届出をさせていただきました。今この国が抱えている大きな課題に、今この国が直面している様々な危機に、政治がしっかりと対応しろ。大きな輪が広がってきています。その声にしっかりと応えていく器が存在しなければならない。そうした器がないならば、自ら作らなければならない。そんな思いで党を立ち上げさせていただきました。

立憲主義

 私たちの社会は、ルールによって規律をされています。みんながルールを守ることで成り立っています。権力といえども、自由に権力を使って統治をしていいわけではありません。憲法というルールに基づいて権力は使わなければならない。ルールなき権力は独裁です。

 私たちは、立憲民主党という名前を付けさせていただきました。立憲という言葉は、古めかしい、分かりにくいという意見もあります。しかし、どんな権力でも、憲法によって制約をされる、憲法によって一人ひとりの自由と人権を守る。この立憲主義というのは、近代社会において、あまりにも当たり前のことだから、特に戦後70年、私たちの国では、あまり言われませんでした。残念ながらというべきかもしれません。ここ数年、立憲主義という言葉をもう一度思い出さなければならない、そんな状況になっている。それが、今の日本です。

 立憲主義は、確保されなければならないというのは、明治憲法の下でさえ前提でした。少なくとも、大正デモクラシーの頃までの日本では、立憲主義は確保されていました。戦前の主要政党、時期によって色々名前若干変化しているんですが、民政党と政友会という二大政党と言われていたそれぞれ、頭に「立憲」が付いていた。立憲主義は、あの戦前でさえ、ある時期まで前提だったのです。

 ところがどうでしょう。憲法によって縛られているはずの内閣が、自ら積み重ねてきた解釈を勝手に変えた。論理的に整合性のない形で勝手に変えた。それに基づいて、自衛隊は日本の領土や領海を守るけれども、外国に出て行って戦争はしないんだという第二次世界大戦の教訓を踏まえた、先人たちが積み重ねてきた私たちの国是が、変えられてしまっている。これが安保法制です。

 憲法に違反した法律は、一日も早く変えなければならない。違憲の部分を廃止させなければならない、主義主張、政策以前の問題であるということを、私は皆さんに強くお伝えをさせていただきたい。そうした力をしっかりと与えていただきたいと思っています。

表現の自由

 立憲主義だけではありません。共謀罪表現の自由が危うくなっています。その間のメディアに対する有形無形の様々な圧力で、報道の自由度のランクは大幅に下がっています。

<情報公開、公文書管理、森友・加計問題>

 情報公開、その前提となるべき公文書管理、この24年の間に積み重ねられてようやく一定の水準にきた。良く知っています。どちらの法律も、作るとき、改正するとき、そのチームの責任者を私枝野幸男はやってきました。ところが、積み重ねられて一定のところまできていたはずの情報公開も公文書管理も、森友・加計、自衛隊日報問題、法律はどこにいったんだ。役所が、政府が、法律を守らない。こうしたことを前提にルールは作られていません。公文書管理法も情報公開法も、行政がちゃんとルールを守る、その前提で作られています。それをいいことに、作ってないわけない、捨てるわけない、そういう文書が捨てられた、全部真っ黒けなら、どこがおかしいのか、この先は公開してもいいんじゃないか、そういうことすらチェックできない。こういったやり方で開き直っている。

 森友・加計は、スキャンダルではありません。税金の無駄遣いです。小さな問題なんでしょうか。1円たりとも税金の無駄を許さない。党派を超えて言っているはずじゃないですか。それなのに小さな問題ですか。森友学園の国有地の値段は億単位ですよ。国有地が安く払い下げられたら、その分は皆さんの税金が食い物にされたのと一緒です。認められるべきではない大学の設置が認められれば、そこに毎年毎年支払われる私学助成金は皆さんの税金です。森友も加計も、税金の使われ方の問題なんです。単なるスキャンダルではありません。

<国民生活、経済>

 そして何と言っても国民生活。一億総中流。今私は53ですが、私が子どもの頃言われていた日本の社会の姿です。べらぼうなお金持ちも少ないけれども、特別なひどい貧困というのも少ない、そういう社会です。だから日本は経済成長できたんです。今の豊かさが作れたんです。世界一と言われていた治安のいい社会がつくれたんです。

 三種の神器。テレビとか、洗濯機と冷蔵庫だったでしょうか。私の生まれるもっと前の話です。3Cと言われていた、カラーテレビ、カー・自動車、そしてクーラー・エアコン。最初は中流の中でもお金持ちしか買えなかったけれども、お隣うらやましいなと思っていると、いつの間にかほとんどのご家庭でそうしたものが手に入る、そうした時代でした、いつの間にかそうした日本社会はどこかに行ってしまいました。

 格差が拡大し、貧困が増大している。これで景気が良くなるはずないじゃないですか。年収100万の人は100万しか買い物できないんです。消費できないんです。年収300万の人が仕事を失って、非正規でアルバイトでパートで何とか食いつないで、年収100万になれば、結果200万だけ消費は減るんです。逆に年収100万の人がそこそこの給料の正社員になれて、300万になれば、増えた200万はほとんど消費にまわるんです。貧困格差は気の毒な人を助けてあげましょうという問題であると同時に、そんなことを放置しているから、いくら株価は上がっても景気は良くならない。

 格差が拡大をすれば、社会が分断をされます。社会が分断をされて、むしろ政治が対立をあおって、それで本当に日本の社会の未来は作られるんでしょうか。大きな政治の流れを変えていきましょう。

<民主主義>

 東日本大震災のとき、絆という言葉が使われました。分断をされていた社会が、あの未曾有の災害の中で、お互いに助け合おう、支え合おう、そうした絆が生まれたはずでした。しかしこの5年の間にどんどんどんどんその絆はむしろ弱められている。

 しかしその一方で、安保法制をきっかけに、さすがにおかしいじゃないか。それまで政治にあまり関わりのなかった人たちが、ネットワークを組んで声をあげていただけるようになった。この流れを止めてはいけない。民主主義というのは、選挙で多数決で選んで、選ばれた議員が多数決でものを決める、これが民主主義だと思っているから間違えているんです。みんなで話し合って、できるだけみんなが納得できるようにものを決めましょう、それが民主主義なんです。

 どうしても決められないときがあります。どうしても意見が食い違うときがあります。そのときに、ここまでみんなで話し合って、それでも一致しないならば、多数決で決めれば、少数の意見の人も、仕方がないですねと納得できる。この納得のプロセスが多数決なんです。

 残念ながら、今まで国会で多数を持っている人たちに、この本質が分かっているんでしょうか。選ばれたから勝手に決めていい、数を持っているから勝手に決めていい、こうした上からの民主主義は民主主義ではありません。

 俺たちの声を聞け、俺たちの現場を見ろ。そうした草の根からの民主主義こそが本当の民主主義であります。上からの民主主義に歯止めをかけて、草の根の民主主義を取り戻しましょう。

 強い者をより強くして格差を拡大しておきながら、いずれ皆さんのところにいきますよ、トリクルダウン、滴り落ちますよ。上からの経済政策はもうやめましょう。生活に困っている人たちから、暮らしから、それを下押さえして押し上げることで、社会全体を押し上げていきましょう。経済全体を押し上げていきましょう。

<対立軸、保守とリベラル>

 右か左かなんていうイデオロギーの時代じゃないんです。上からか、草の根からか。これが21世紀の本当の対立軸なんです。リベラル新党よくできたと期待を頂いているんです。保守とリベラルがなんで対立するんですか。保守とリベラルは対立概念ではありません。

 だいたい今の自民党が保守なんですか。一億総中流といわれて、世界一治安がいいと言われて、お隣近所、地域社会、お互い様に支え合っていた日本社会を、壊してきたのは誰ですか。日本社会のよき伝統を壊している保守なんかあるはずがありません。

 私は人それぞれの多様な生き方を認め合う。困った人がいればここに寄り添って支えていく。お互い様に支え合う社会。

 リベラル、そのことによって、おそらくここにお集まりいただいている多くの皆さんが育ってきた時代、日本が輝いていたと言われていた時代の、あの一億総中流と言われていた時代の、社会がこんなにぎすぎすしていなかった時代の、みんなが安心して暮らせていた時代の、日本社会を取り戻す。私はリベラルであり、保守であります。

 今この国には、そういう勢力が残念ながらなくなってしまいつつある。伝統を、社会のこれまで積み重ねてきたものをぶち壊す、保守なんかではない保守を称する勢力と、その隣に、多様な価値観を認め合い、支え合い、そしてそうしたことが実現をされていた日本の社会を取り戻そうという、こういうぽっかり空いた穴があるんです。私たちは、そうした声をしっかりと受け止めていきます。

<守るべきもの>

 70年以上にわたって戦争をしなかった。平和を維持してきた。お互い様に支え合う社会で、世界一の豊かなはずの国を作ってきた。この社会を、平和を、民主主義を、立憲主義なんていう言葉みんな忘れてしまう、そのことが許されていた、そんな社会を私は守るために、新しい政治勢力を立ち上げました。

 みんなで守りましょう。立憲主義を守りましょう。本当の民主主義を守りましょう。お互い様に支え合って、みんなで豊かになっていく。みんなで安心を作る。そんな日本社会を守りましょう。そのためには、東日本大震災を機に思い出した絆、支え合い。安保法制で気付かざるを得なかった、そこで声を上げざるを得なくなった。この国の主役は私たちなんだ。今国会で数をたまたま持っているから何でもやっていいわけではないんだ。俺たちの声を聞けという、そうした、今まではどちらかというと政治から遠かった、まさに民主主義の主役の皆さんの、そうした皆さんの声をしっかりと受け止めて、前へ進めていく、そういう政党として、立憲民主党は前へ進んでいきます。

<まとめ>

 生まれたばかりの政党です。生まれたばかりで選挙に突っ込んでいかなければなりません。自分の選挙も心配です。でも今日、何とかちゃんと10月10日に、立憲民主党として届出ができるように、その作業を進めています。

 私たちは、私が昨日来皆様にお伝えをしている思いというものを、この国の、本当にこの国の未来を信じている、この国の未来を考えている多くの、これまではサイレントマジョリティだったかもしれない、そうした人たちに、大きな輪を広げていただいて、私たちに力を貸していただける、そう信じて決断を致しました。

 まだまだよちよち歩きかもしれません。でも間違いなく、その歩みの進んでいく方向は、皆さんのご期待に応える方向である。そのことを自信を持って皆様にお約束申し上げ、是非力を貸していただき、お育ていただきたいとお願いを申し上げ、立憲民主党の代表として、皆様にお伝えをさせていただきます。本当にたくさんの皆さんにお集まりをいただき、足を止めていただき、ありがとうございます。皆さんのご期待に応えられるように頑張ります。ありがとうございます。

inserted by FC2 system

http://satlaws.web.fc2.com/edano1003.html記事転載元です。

【目標1,000いいね!日記】 2017年10月4日(水)_No.2102 ◎本日の記念日(森永・天使の日)

【目標1,000いいね!日記】

2017年10月4日(水)_No.2102

◎本日の記念日(森永・天使の日)

おはようございます♪

本日は森永・天使の日です^^

この天使マークといえば

チョコボールの当たりが印象的です♪

当たりが出るとちょっとテンションが上がりますよね^o^

皆さんは当たったことありますか?

今でもあるのでしょうかね!

確か金・銀のエンゼル缶があっておもちゃがもらえるみたいな?笑

今日ちょっと懐かしい気持ちになれましたね♪

それでは本日もよろしくお願いします☆★

----------

○森永・天使の日

エンゼルマークで知られ、「天使」の商標登録を持つ日本有数の菓子メーカーの森永製菓株式会社が制定。

日本中の子供たちに天使のような純真無垢な笑顔になってもらいたいとの願いが込められている。

日付は10と4で「天=テン(10)使=シ(4)」の語呂合わせから。

----------

【目標1,000いいね!日記】

2017年10月4日(水)_No.2102

◎愛知県のお天気コーナー

【秋を実感する陽気に】

今日は日差しが届いて穏やかな秋の陽気。

昼間は爽やかな体感になります。

前日との体感差が大きくなるので

体調管理を万全にしてください。

夜は中秋の名月を楽しめそうです。

今晩は【中秋の名月】です。風邪をひかぬよう寒さに注意しましょう!

☆日本の秋の代表的な風物詩【中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)】は今晩【10月4日(水)】です。

天気予報は曇後晴なので、中秋の名月は拝めそうです。

東京:月の出の時刻:16時42分、南中時刻(最も月が高く昇る時間):22時37分、月の入りの時刻:3時36分(国立天文台より)

ただ東京だと最低気温が17度の予定なので、長袖の上にもう一枚羽織ってちょうど良い位の肌寒さとなりそうです。

中秋の名月を愛でて、風邪をひいてしまうなんてことのないように注意しましょう!

中秋の名月」とは、旧暦の【8月15日の夜の月のこと】を言います。

(旧暦の暦月の日数は29日か30日のいずれかですから、15日は暦月の真ん中の日と考えることができます。)

「仲秋の名月」という表現もあるが、これだと「旧暦8月の月」を指し、十五夜の月に限定されなくなり、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指します。それに対して「中秋」とは「秋の中日」=旧暦8月15日のみを指します。

加えて、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされ、「望(ぼう)」は満月を指します。

俳諧では8月14-15日、16-17日の夜をそれぞれ「待宵(まつよい)」、「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でます。

旧暦8月15日は、日本の六曜で必ず仏滅になることから、俗に「仏滅名月」とも呼ばれます。

英語圏では同時期の満月を表す表現として「Harvest Moon」や「Hunters moon」があります。

☆【中秋の名月を愛でる風習】

中秋の名月を愛でる習慣】は、平安時代に中国から伝わったと言われています。

平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催しました。

また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだと云います。

現代では、月が見える場所などに、薄(ススキ)を飾って、月見団子・里芋・枝豆・栗などのお供え物(=お月見料理)を盛り、御酒を供えて、月を眺めます。

さらに、秋の七草秋桜など、季節の草花で彩りましょう。

「収穫の季節に豊作を感謝する」という意味あいが生まれ、その時期に穫れた野菜などもお供えするようにもなりました。

月見団子の供える数には2つの説があります。

?【満月の数⇒12個(平年、閏年:13個)】その年に出た満月の数を供えます。 

?【十五夜⇒15個】…十五夜だから15個(十三夜には13個)。15個の並べ方は、下から9個、4個、2個となります。 

【薄は神様の依り代】と考えられており、稲穂が実る前なので、稲穂に見立てた薄が選ばれたと云われ、神様への収穫感謝を表明しています。また、薄の鋭い切り口が魔除けになるとされ、お月見のあと軒先に吊るしておく風習も見られます。

このように、お月見の由来は?「最も美しく見える季節に月を鑑賞する」という意味と、?「神様への豊作祈願や収穫の感謝を表す」という意味合いもあります。

この時期収穫されたばかりの【里芋を供える】ことから、十五夜の月を特に【芋名月】と呼ぶ地方もあります。

沖縄ではふちゃぎ(吹上餅)を作って供えています。

仏教寺院では、豊作を祈る満月法会を催す所もあります。

この他にも戦前から昭和中期にかけて(所によって今日でも)、子供達が近隣の各家に供えてある月見団子や栗・柿・枝豆・芋・菓子類をその家人に見つからないように盗って回り、その年の収穫を皆で祈る(祝う)「お月見泥棒」という風習もありました(家人は子供たちの行いを見つけても見ない素振りをしました)。

☆【中秋の名月と満月の日付がなぜずれるのでしょうか?】

中秋の名月には美しい月が見られ、その月は満月である」と思われている方が多いと思いますが、今年は、10月4日が中秋の名月で、その翌々日の10月6日3時40分が満月と、中秋の名月と満月の日付が2日ずれています。実は、中秋の名月と満月の日付がずれることは、しばしば起こります。

では、どうしてこのようなことが起こるのでしょうか?

月は地球のまわりを公転しながら、約29.5日の周期で満ち欠けを繰り返していますが、月の公転軌道が完全な円形ではなく、少しつぶれた楕円形をしているために、月は、この周期の半分の14.75日で必ず満月になるわけではありません。

月が地球に近い位置にある時には公転のスピードが速く、反対に、月が地球から遠い位置にある時には公転のスピードが遅くなるため、新月〜満月までにかかる日数は13.9日〜15.6日と大きく変化します。今回は、新月〜満月まで15.5日ほどかかっています。

上記の理由により、中秋の名月と満月の日付がずれることが起こりますが、中秋の日の夜の澄んだ秋空に昇る満月前後の丸い月は、とても明るく見ごたえがあります。今年の中秋の名月も、満月と遜色のない美しい月を楽しむことができます。

☆【中秋の名月を楽しむ方法とは?】 

?【見る場所】月がきれいに見える夜8〜9時頃には東南の方位にありますから、そこに窓がある部屋をきれいにして、お月見スペースにしましょう。そして、窓辺に一対のすすき、月見団子、季節の果物をお供えすれば完璧です。

?もし、南などに窓がなければ、外に出て月を眺めましょう。その場合、部屋にはお供えをしておきましょう。

?月を眺めながら、お酒を楽しみましょう。盃に月を映してから飲んだり、その時パートナーと一緒にいれば、その人との絆が深まります。お酒が飲めない場合には、水面に映る月を見るのがお奨めです。

☆【その他のお月見】

?【九月十三夜】…今年の十三夜は、11月1日(水)で…日本独自の風習と言われています。

旧暦の9月13日の夜を「十三夜」と呼び、日本ではその夜にもお月見をする習慣があります。

十三夜は、「後(のち)の月」、または、ちょうど食べ頃の大豆(枝豆)や栗などを供えることから、「豆名月」「栗名月」とも呼ばれています。

江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」で縁起が悪いと遊女らに嫌われました。二度目の通いを確実に行なうために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習がありました。

旧暦の閏月で閏8月または閏9月が挿入される場合に1年で十五夜または十三夜が二度現れることがあり、二度目についてはそれぞれ「後の十五夜」、「後の十三夜」と呼ばれていました。「後の十三夜」は2014年11月5日に171年ぶりに出現しています。

?【十月十夜】

旧暦10月10日の月は「十日夜の月」とよばれ、「中秋の名月」と「後の月」に対しては「三の月」ともいい、この夜にみる月がその年の収獲の終わりを告げるとされました。

?【その他の夜】

天候次第で月を見られない場合もあるので、地方によっては、【月待ち】という風習があり、【十七夜以降】を【立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)】といいいます。

二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めましたが、二十六夜待ちまで行う地域があり、「月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる」という口実を付けて、月が昇る(深夜2時頃)まで遊興に耽けました。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったとされています。

参照?https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E8%A6%8B

参照?https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2017/10-topics02.html

王道vs.覇道

Virtue,Smart Power王道vs.覇道Hard Power

西郷隆盛はなぜ西南戦争を戦ったのか

http://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/2525

西郷南洲翁遺訓集

http://www.keiten-aijin.com/ikun.html

http://bpstore.nikkeibp.co.jp/item/books/P44990.html

第四ケ条 

万民ばんみんの上うえに位いする者もの、己おのれを慎つつしみ、品行ひんこうを正ただしくし、驕奢きょうしゃを戒いましめ、節倹せっけんを勉つとめ、職事しょくじに勤労きんろうして、人民じんみんの標準ひょうじゅんとなり、下民かみん其その勤労きんろうを気きの毒どくに思おもふ様ようならでは、政令せいれいは行おこなはれ難がたし。然しかるに草創そうそうの始はじめに立たちながら、家屋かおくを飾かざり、衣服いふくを文いろどり、美び妾しょうを抱かかえへ、蓄財ちくざいを謀はかりなば、維新いしんの功業こうぎょうは遂とげられ間敷まじき也なり。今いまと成なりては、戊辰ぼしんの義戦ぎせんも偏ひとへに私しを営いとなみたる姿すがたに成なり行ゆき、天下てんかに対たいし戦死せんし者しゃに対たいして、面目めんぼく無なきぞとて、頻しきりに涙なみだを催もよおされける。

第十一ケ条

文明ぶんめいとは道みちの普あまねく行おこなはるるを、賛称さんしょうせる言げんにして、宮室きゅうしつの荘厳そううごん、衣服いふくの美麗びれい、外観がいかんの浮華ふかを言いふには非あらず。世人せじんの唱となふる所ところ、何が文明やら、何が野蛮やばんやら些ちとも分からぬぞ。予よ、甞かつて或人あるひとと議論ぎろんせしこと有あり、西洋せいようは野蛮やばんぢゃと云いひしかば、否いな文明ぶんめいぞと争あらそふ。否いな否いな野蛮やばんぢゃと畳たたみみかけしに、何なんとて夫それ程ほどに申もうすにやと推おせしゆえ、実じつに文明ぶんめいならば、未開みかいの国くにに対たいしなば、慈愛じあいを本もととし、懇々こんこん説諭せつゆして開明かいめいに導みちびく可べきに、左さは無なくして未開みかい蒙昧もうまいの国に対たいする程ほど、むごく残忍ざんにんの事を致いたし、己おのれれを利りするは野蛮やばんぢゃと申もうせしかば、其その人口ひとくちを莟つぼめて、言無ことばなかりきとて笑わらはれける。

第十九ケ条

古いにしえより、君臣くんしん共ともに己おのれを、足たれりとする世よに、治功ちこうの上あがりたるはあらず。自分じぶんを足たれりとせざるより、下々しもじもの言げんも聴きき入いれるもの也なり。己おのれを足たれりとすれば、人ひと己おのれの非ひを言いへば、忽たちまち怒いかるゆえ、賢人けんじん君子くんしは之これを助たすけぬなり。

第二十五ケ条

人ひとを相手あいてにせず天てんを相手あいてにせよ。天てんを相手あいてにして己おのれれを尽つくし、人ひと

を咎とがめず、我わが誠まことの足たらざるを尋たずぬべし。 

第三十ケ条

命いのちもいらず、名なもいらず、官位かんいも金かねもいらぬ人ひとは、仕末しまつに困こまるもの也なり。此このの始末しまつに困こまる人ひとならでは、艱難かんなんを共ともにして、国家こっかの大業たいぎょうは成なし得えられぬなり。去されども个か様ようの人ひとは、凡俗ぼんぞくの眼めには、見み得えられぬぞと申もうさるるに付つき、孟子もうしに『「天下てんかの広居こうきょに居おり、天下てんかの正せい位いに立たち、天下てんかの大道だいどうを行おこなふ、志こころざしを得えれば、民たみと之これに由より、志こころざしを得えざれば、独ひとり其道そのみちを行おこなふ、富貴ふうきも淫いんすること能あたはず、貧賎ひんせんも移うつすこと能あたはず、威武いぶも屈くつすること能あたはず』」と云いひしは、今いま仰おおせられし如ごときの、人物じんぶつにやと問とひしかば、いかにも其その通とおり、道みちに立たちたる人ひとならでは、彼かの気象きしょうは出でぬ也なり。

第三十八ヶ条

世人せじんの唱となふる機会きかいとは、多おおくは僥倖ぎょうこうの仕當しあてたるを言いふ。真しんの機会きかいとは、理りを尽つくして行おこなひ、勢せいを審つまびらかにして動うごくと云いふに在あり。平日へいじつ国天下くにてんかを憂うれふる誠心せいしん厚あつからずして、只時ただときのはずみに乗じょうじて成なし得えたる事業じぎょうは、決けっして永続えいぞくせぬものぞ。

人生の王道

著者:稲盛和夫

http://www.kyocera.co.jp/inamori/publication/2007/09/publication18.html